Alice38: Red (for frustration and anger)
(続き)
先日の記事「三柳早帆: 赤金の闇」で使用した布を背景にしている。場所は夕陽の射しこむ西の窓。時間が違う。場所が違う。しかし、それ以上に、この子の個性と撮影時の私の心の持ち方が雰囲気の違いとして現れる。今日の赤は、さしずめ怒りの赤だ。
山之口獏の詩を知ったのは、高田渡の歌「鮪に鰯」から。その後、新木場へ行く機会があり、第五福竜丸を目にした。山之口獏の詩が作られた頃、或いは、1954年「ゴジラ」が公開された当時、誰もが、もう嫌だと思える怒りの対象があったのではないか。今は、もうそんなものは無くて、耳に心地よい広告のコピーに踊らされたためか、怒りは変質してしまった。道を行く年配の男性が怒鳴り散らしているように、怒りは、ただ不細工なものに貶められてしまったか、或いは、それを向けるべき対象を間違えているのではないか_恥ずべき憎悪ばかりが目立っている。
女優の能年玲奈さんが、「今って、怒りという感情が、のけものみたいになっている気がしていて」と言ったそうなのだが、その記事を読んでいて、はっと目が覚めたような気分になった。純粋な「怒り」の感情を、どこかに忘れてしまっていたようだ。
「杉並アピール」で知られる杉並公民館の館長室には、当時、宮沢賢治の詩が掲げられていたそうだ。
「アラユルコトヲ/ジブンヲカンジヨウニ入レズニ/ヨクミキキシワカリ/ソシテワスレズ」
美しい赤が似合うような、純粋な怒りを忘れたくない。