Jean: The light of May
(続き)
風の強い晴天の日。木々の葉が翻るさまを窓から眺めていた。
堀辰雄の古い新潮文庫と一緒に、この人形を撮ってみたくなった。
今年の5月は、こんなふうに過ぎていく。
長い人生の中の一つに過ぎないと言うのは、今も昔も、嫌な大人たちだ。
例えば16歳の5月は、終わってしまえば、もう二度と戻ってこない。誰もいないグラウンドを見詰めながら飲んだ紙コップのスプライトや、文化祭のサークル展示で手にしたガリ版刷りの同人誌も、その時を逃せば、いつでも買える甘い炭酸水と読むに堪えないザラ紙の束でしかない。あの数か月がなくなってしまっても、本当に良いのか。まあいいじゃないか_と訳知り顔で言う大人にはなりたくない。この歳になっても、そう思う。
誰も彼も掛け替えのない時間を生きている。失われていく他者の時間にも、思いを馳せる大人でありたい。喪失した時間を贖える大儀など存在しないのだから。