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Only doll photos. (Sorry, there is a little Japanese text at the end.)

Elica: Longing for pagan beauty

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(続き)

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この子、少し上向きにしてやると、いろんな物語に繋がっていきそうな気がする。
ただし、確かな題名を挙げることができないのを考えると、私の頭の中だけに存在するでっち上げのワンシーンなのかもしれない。
日々の生活の中で、敬虔な思いというものを全く抱かないわけではない。それでも神社仏閣、教会やモスク等に惹かれるのは、それぞれの教えから来ているのではない。蒙昧な徒にも理解可能な、外連の美しさがあるからなのだと思う。形の無いものを教える手段として、偶像を否定しても、無限の広がりを見せる幾何学的文様があるように。
とびきりの視覚効果があるだけではない。そこに音響や匂いもプラスされるから、どんな宗教も、或る意味総合芸術的なアプローチの仕掛けを有している。
そこに「異」と冠されるものがあれば、私にはさらに近しい存在となる。
異国、異郷、異邦、異人、異才、異能、異教、異形、異端…。
それらは必ず非日常の特別な美しさを備えているはずだと考える。どれだけ私は逸れ者の意識が強いのだろうか。
今日のこの子の様子を眺めていて、さまざまな所へ想いが飛んでいた。それはどこか懐かしく、高校生の頃の夢と然程違ってはいない。多分、死ぬまでこのまま、変わらないのだろう。